釈迦如来(しゃかにょらい)って?

[梵字] バク

[真言] のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

お釈迦さまは、私たちに幸せに生きるため真の教えを説いてくれました

お釈迦さまが亡くなって、約600年後、2~3世紀ごろ、インドの西に位置するガンダーラ地方で初めて釈迦如来像がつくられました

仏教の開祖である、お釈迦さまは29歳で修行生活に入り、35歳で悟りを開き、如来となった

4月8日の花まつりにまつられる童子姿(どうじすがた)の誕生仏

修行時代の質素な衲衣(のうえ)をまとい、装身具はつけない、やせこけた姿の苦行像

2月15日の涅槃会(ねはんえ)にまつられる入滅(にゅめつ)姿の寝釈迦(ねしゃか)などがあります

いちばん多いのは、手指で施無畏印(せむいいん)・与願印(よがんいん)を組み、人々に教えを説いている釈迦如来像です

禅定印(ぜんじょういん)や説法印(せっぽういん)も見られます

光背(こうはい)
仏が発する光を形にしたもの

肉髻(にっけい)
お椀を伏せたように隆起している部分
智恵によって頭のてっぺんがもりあがっている

螺髪(らほつ)
髪の毛が1つ1つ右回りにカールして固まったもの

白毫(びゃくごう)
おでこの白い巻き毛から光を発して世界を照らし続ける
右回りに渦巻いている

三道(さんどう)
首にある三本のすじ
煩悩(ぼんのう)を持つ人間が修行して仏となったしるし
修行の三段階を示すといわれる

施無畏印(せむいいん)右手
「おそれなくていいよ」というサイン

与願印(よがんいん)左手
「願いをかなえてたげるよ」というサイン

衲衣(のうえ)
如来の法衣(袈裟)で粗末であることが特徴
釈迦が修行中に着ていた衣服がモデル

結跏趺坐(けっかふざ)
如来の一般的な坐り方
足の甲を反対側の足の太ももの上に乗せる

裳懸座(もかけざ)
衲衣のひだが須弥(しゅみ)座全体をおおう台座

釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦三尊像 法隆寺(奈良)

●釈迦三尊として脇侍(わきじ)には普賢菩薩と文殊菩薩をまつることが多い

釈迦三尊像 獅子に乗った文殊菩薩像 象に乗った普賢菩薩像 願興寺(岐阜) 
釈迦如来の三尊像(普賢菩薩・釈迦如来・文殊菩薩)方広寺(静岡県)

●二大弟子(でし)の魔訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)をまつることもあります

釈迦如来 左に魔訶迦葉(まかかしょう)と右に阿難陀(あなんだ)建仁寺(京都)

●現在(この世)の仏さま釈迦如来

過去(生まれる前の世)の仏さま阿弥陀如来
未来の世にあらわれる仏さま弥勒菩薩(みろくぼさつ)(弥勒仏(みろくぶつ))をまつれば、仏さまがそろいます

三世仏(釈迦如来(しゃかにょらい)・阿弥陀如来(あみだにょらい)・弥勒如来(みろくにょらい))泉涌寺(京都)

釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)

室生寺(むろうじ)(奈良)
国宝
木造
像高106.3㎝
平安時代 9世紀

カヤの一木造(いちぼくづくり)

大波と小波を繰り返す翻波(ほんば)式の衣文(えもん)

薄手の衣一枚だけを身にまとい、装身具を一切身につけていない姿を「如来の通相」という
遍袒右肩とは相手に最大限の敬意を表す衲衣(のうえ)の着方で、右肩を脱ぎ、左肩を覆う
(日本では、余った布を折り返して右肩を覆う像が多い)

「足下安平立相」(そっかあんぺいりつそう:足裏が平らで大地に立つと地と足の間が密着する)をよく表わしている

胸は分厚く、この胸をなでると、お乳がよく出るという信仰があったらしい
今は立派な寶物殿のガラス張りの中で守られている

釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)

清凉寺(せいりょうじ)(京都)
国宝
木造
像高160.0㎝
中国 北宋 985年

釈迦が36歳の時の生身の姿を表した像といわれている
インド、中国、日本と模刻して伝わったため、「三国伝来の釈迦如来像」と呼ばれる
胎内からは、絹で造られた五臓六腑の模型が納められ展示されている
この形式の釈迦像を「清凉寺式釈迦像」という
この像はさらに多くの模刻が全国にある

釈迦如来立像(しゃかにょらい りゅうぞう)

戒光寺(かいこうじ)(京都)
重要文化財
鎌倉時代
5m以上

運慶(うんけい)と湛慶(たんけい)親子の合作
頭頂の肉髻(にくけい)は低い代わりに螺髪(らほつ)は大粒で、髪際(はっさい)は曲線を描いている
彩色が鮮やかでエキゾチック

拝観時には、大きな足が目の前にあり、仰ぎ見ることができます

釈迦如来坐像(しゃかにょらい ざぞう)

大法恩寺(だいほうおんじ)(京都)
重要文化財
鎌倉時代
約90㎝

快慶(かいけい)の弟子である行快(ぎょうかい)の作

鮮やかな色付けが施されており、漆箔で仕上げて玉眼が嵌め込まれている

釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)

飛鳥寺(あすかでら)(奈良)
飛鳥時代
重要文化財
2.75m

蘇我馬子(そがのうまこ)は聖徳太子と、物部守屋(もののべのもりや)を討伐することができたら、寺を建てようと祈願し
希望がかなえられ、飛鳥地方に法興寺(ほうこうじ)を建立した

その時に、渡来系の仏師鞍作鳥(止利仏師)が造った、日本最古の仏像(金剛仏)として知られ
「飛鳥大仏」の名で親しまれてきた仏像です

南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)と唱えましょう