脇(わき)から生まれたお釈迦さま 摩耶夫人&天人&誕生仏像

2021年12月4日

出胎(しゅったい)・降誕(ごうたん)

マーヤー夫人(摩耶夫人(まやぶじん))は、お産のためにご自分の実家のあるコーリヤ国に帰る途中、ルンビニーの花園で休んだ
まっ赤に咲くアソーカの樹(無憂樹・むゆうじゅ)の一枝を折ろうと右手をあげた時、マーヤー夫人の右脇から男子が生まれた
「仏陀(ぶっだ)」となる人の誕生です

生まれてすぐに東に向かって七歩あゆみ、右手を上にして天を指し、左手は下にして大地を指し
『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)(私は天にも地にもただひとり尊(とうと)い)』と誕生偈(たんじょうげ)と呼ばれることばを発した

これは「一人ひとりの人間が尊い存在である」という意味です

そのとき天に9頭の竜(りゅう)があらわれて、王子の頭にきよらかな水をふりそそぎ、さわやかな風がふきわたりました

王子はシッダールタ(悉達多・しっだるた)と名付けられました
“願いが満たされた者”という意味です

姓をゴータマということから、お釈迦さまの名前はゴータマ・シッダールタという

お釈迦さまをシャーキャ・ムニ(釈迦牟尼世尊)と呼んでいますが、“釈迦族出身の尊者”という意味で、釈尊(しゃくそん)とも呼ばれています

また、“真理を悟った人”という意味でブッダ(仏陀)という呼ばれています

ところが、お釈迦さまの母マーヤー夫人は、出産の七日後に亡くなった

お釈迦さまは母マーヤー夫人の妹であるマハー・ブラジャパティー(摩訶波闍波提・まかはじゃはだい)が王妃となってお釈迦さまを育てました

お釈迦さまは、2つのお城と、ぜいたくな衣装、世話係、教師などをあたえられました
7歳で、数学、天文学(てんもんがく)、占星術(せんせいじゅつ)などあらゆる学問を学び
かしこく、すこやかに育ちました

ところがお釈迦さま12歳の春

農作物の豊作(ほうさく)をいのるお祭りで
小さな虫が土の中から出てきて
すると小鳥がやってきて、その虫を食べてしまいました
そして、こんどは大きな鳥がやってきて、その小鳥を食べてしまったのです

次々と命が失われる様子を見たお釈迦さまは、とても悲しみました

それからお釈迦さまは、大きな木の下にすわって
みんなが幸せになる方法はないかと悩みました

それを見ていた父の浄飯王(じょうぼんのう)は、心配して
16歳になったお釈迦さまに、となりの国の王女ヤショーダラ姫 耶輸陀羅(やしゅだら)を花嫁にとしてむかえました

子どもラフーラ(羅睺羅・らごら)も生まれましたが

お釈迦さまの悩みは消えませんでした

摩耶夫人及び天人像(まやぶしん および てんにんぞう)

東京国立博物館蔵
飛鳥時代(7世紀半ば)
重要文化財

明治11年(1878)に、法隆寺から皇室に献上したものの中に、釈尊が生母摩耶夫人(まやぶにん)から出生するところを表わした
小さな金銅仏(銅製の本体に金メッキを施したもの)です

4月8日の朝、臨月の摩耶夫人は藍毘尼園(るいびにえん)を歩き、無憂樹(むうじゅ)の下に
右の手を上げて花の枝を折ろうとした時に、釈尊は右腋(わき)から生まれた
この像は、それを表わしたもの

小さなお釈迦さまは、合わせた手を高く頭の上にあげながら、下を向いて母の右袖口から上半身をあらわし、生まれ出るところ

三人の婇女(うねめ)が香水を入れた水瓶(すいびょう)などを持ち、空中を飛んで仏の誕生をお祝いにかけつけた

仏の誕生を祝福するところが表された群像です

天女像の底には穴が開いていて、棒をさして宙に浮かせ、4月8日の誕生会のときに用いたらしい

この像は珍しいものです

ぜひ!見たい誕生仏

誕生釈迦仏立像(たんじょうしゃかぶつりゅうぞう)

奈良・東大寺
国宝
像高47.5㎝
奈良時代 8世紀

摩耶夫人の右腋(みぎわき)から生まれ出たお釈迦さまは、すぐに七歩歩いて、天地を指して「天上天下唯我独尊」と言われた
この姿を表わしたのが、釈迦誕生仏と呼ばれるものです
今もお寺では、毎年4月8日の灌仏会(かんぶつえ)の本尊としてまつり
「花まつり」とよんで
この像に甘茶をかけて誕生日をお祝いしています
灌仏像(かんぶつぞう)とも呼び、多くは銅製です

善水寺(ぜんすいじ)滋賀

大報恩寺(だいほうおんじ)(千本釈迦堂)京都

奈良国立博物館蔵