梵天・帝釈天って?
梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)
天部のトップ
◎梵天(ぼんてん)
梵字:ボラ
真言:「ナウマク・サマンダ・ボダナン・ボラカンマネイ・ソワカ」
梵天は、もともとインド神話の「ブラフマー(宇宙と様々な生物の創造主)」
古代インドに於いて宇宙の源とされる「ブラフマン」を語源とする神です
バラモン教では梵卵を二つに割り天と地を創造したとされる
ヒンドゥー教では『創造の神』として、ヴィシュヌ神(維持神)・シヴァ神(破壊神)と並ぶ3大主神の一柱
初禅天(しょぜんてん)(欲望を克服した者の世界)に住んでいる
密教では、十二天の中の最高位に位置づけられる
梵天ごご利益は、
「仏教守護」・「国土安堵」・「立身出世」
◎帝釈天(たいしゃくてん)
梵字:イー
真言:「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」
帝釈天は、古代インド最強の神・インドラで、因陀羅(いんだら)とも呼ばれる
帝釈天は、密教に於いて十二天の一尊、且つ四天王の一尊
帝釈天は、もともとインド神話の「シャクロー(音訳「釈」)・デーバーナーム・インドラ(帝王-天空の支配者)」
帝釈天は宇宙の中心「須弥山(しゅみせん)」山頂の
喜見城(善見城)に住み、
忉利天(とうりてん)(天道のひとつ)を支配する
忉利天の下には四天王天があり、
四天王は帝釈天の命により この世へ降り、
人々の善行・悪行を、帝釈天に報告する役目を担う
2頭立ての黄金の戦車、若しくは象に乗り、
金剛杵(こんごうしょ)を手にして、毒竜ヴリトラやアシュラと戦い、
阿修羅に勝利し仏門に帰依させた英雄とされています。
風水を支配し、雨を降らせ大地を潤す
釈迦の修行時代から従っている
インド神話最強の神様のご利益は
「戦勝祈願」と「国家安泰」
梵天と帝釈天は、早くから仏教に取り入れられ、天部の最高位です
釈迦が悟りを開いたとき、その内容の難しさに
釈迦自身が悟りを広めることを戸惑ったのを諭したのが
梵天と帝釈天だとされる
梵天と帝釈天は二神一対の像として祀られることが多く、両者を合わせて「梵釈」とも称する
如来や菩薩の脇侍(きょうじ)とされる
❶髻(もとどり)
髪を頭上に集めて束ねたもの
❷礼服
貴族が着用する礼服をまとう
❸甲冑(かっちゅう)帝釈天のみ
武神であるため、礼服の下に甲冑を身につけている
❹与願印(よがんいん)
❺高鼻沓(びこうぐつ)
つま先が高くもち上がった皮製の靴
▲梵天立像(ぼんてんりゅうぞう)
像高 106.5㎝
四つの顔と四本の手をもち、左手には蓮華を握る
▲帝釈天立像(たいしゃくてんりゅうぞう)
像高 104.9㎝
鮮やかに彩色された甲冑を身にまとっている
右手には武器である金剛杵を握る
荷葉坐の上に立ち、右足を一歩踏み出した姿で表されている
瀧山寺(たきさんじ)(愛知県)
重要文化財
鎌倉時代
運慶と、その子湛慶(たんけい)による制作
●梵天立像(ぼんてんてんりゅうぞう)
像高 186.2㎝(梵天)
●帝釈天立像(たいしゃくてんりゅうぞう)
像高 188.2㎝(帝釈天)
唐招提寺(とうしょうだいじ)(奈良)
国宝
奈良時代(八世紀)
像高 約180㎝
木造・乾漆併用 彩色
金堂本尊・盧舎那仏の両脇に安置されており、右が梵天、左が帝釈天
像の大半を針葉樹の一材から彫り出し、一部に乾漆を併用する
重厚な表情、分厚く重量感あるおおらかな印象
両像とも鎧の上に裳(も)をまとい、沓(くつ)を履き、梵天は、さらに袈裟(けさ)をつけた姿となってい
■梵天座像(ぼんてんざぞう)
四面(しめん:顔が4つ)・四臂(しひ:腕が4本)
正面の顔のみ額に第三の目がある
4羽の鵞鳥(がちょう)が支える蓮花の上に坐している
■帝釈天半跏像(たいしゃくてんはんかぞう)
一面三目二臂で金剛杵を持ち、白象に乗って半跏踏み下げの姿勢
頭部はすべて後補となっているため、他の平安期像と比較すると、顔は穏やかで美しい
東寺(とうじ)(京都)
国宝
平安時代 839年
像高 約1.0m
♦梵天立像(ぼんてんりゅうぞう)
秋篠寺(あきしのでら)(奈良県)
重要文化財
像高205.0㎝
頭部(脱活乾漆造り、彩色 奈良時代)
体部(木造、彩色、鎌倉時代)
頭部は奈良時代の脱活乾漆造りで、体部は寄木造りで鎌倉時代の正応(しょうおう)2年(1289)に補われたとされる
現在は梵天の名がついているが、当初の名称は不詳
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