お釈迦さまの一生『釈迦八相(しゃか はっそう)』
お釈迦さまの生涯を八つに分けて表わしたものを、釈迦八相(はっそう)と呼ぶ
① 降兜率(こうとそつ)
前生のお釈迦さまが、兜率天(とそつてん)という天界から、六牙(りくげ-六本のキバ)の白象に乗って降りて来る
②托胎(たくたい)
お釈迦さまは、母親の摩耶夫人(まやぶにん)の右脇腹(みぎわきばら)から胎内(たいない)に入りやどった
③出胎(しゅったい)
摩耶夫人の右脇腹から誕生する場面
4月8日のこととされ、日本ではこの日、誕生仏に甘茶を注いで誕生を祝う
④出家(しゅっけ)
29歳のとき、愛馬パンタカに乗って王宮を飛び出す
この次に6年間の苦行生活があり、そのときの姿をあらわしたのが釈迦苦行(くぎょう)像で、骨と皮だけになり、目が落ちくぼんだ、すさまじい姿の仏像が残されている
⑤降魔(ごうま)
6年間の決心の苦行でも、目指す悟(さと)りを得ることはできなかった
そこでお釈迦さまは、苦行をあっさりと止め、近くの川で身を清めて菩提樹(ぼだいじゅ)の下で瞑想(めいそう)に入る
お釈迦さまが悟りを開けば、人々は善に導かれて悪は滅びる
そう考えた悪魔(あくま)たちは、あらゆる手段で悟りを防げようとした
そのとき釈迦は、定印(じょういん)(坐禅のときの手の組み方)を解いて、右手の人差し指を地に着けた
すると地の神が助け、悪魔たちは退散したという
⑥成道(じょうどう)
悪魔が退散した瞬間に偉大な悟りを開いた(道を達成した)
12月8日のことで、このとき釈迦は35歳だったと伝えられている
日本では毎年、12月8日に成道を祝う「成道会(え)」が各地の寺院で営まれる
⑦初転法輪(しょてんぽうりん)
悟(さと)りを開いたお釈迦さまは、悟りの内容を人々に説法(せっぽう-教えを聞かせること)しょうか?どうしょうか?悩む
それは悟りの内容が余りにも深く、言葉では伝わらない!と考えたからである
誰かに聞かせても理解されず、かえって誤解を生むかもしれない(-_-メ)
お釈迦さまは、いっそ誰にも語らないでおこうとも考える
そのとき梵天(ぼんてん)という偉大な神が、お釈迦さまの心中をさとり、素晴らしい教えを説くように根気強くすすめる
そして、梵天のすすめに応じて説法をすることを決意したお釈迦さまは、鹿野苑(ろくやおん)というところで苦行を共にしていた5人の行者に向けて、最初の説法をした
この最初の説法を、初転法輪(しょてんぽうりん)という
以後、お釈迦さまは80歳で入滅するまでの45年間に、インド各地を巡って数限りなく説法をした
その説法の様子を表わした像は、両手を胸にかざして、語りかけるようなポーズで、この印を説法印(せっぽういん)と呼んでいる
⑧入滅(にゅうめつ)(涅槃(ねはん))
80歳になったお釈迦さまは、クシナガラという町で沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で頭を北に向け、右脇腹(みぎ わきばら)を横にして最後の説法をし、最期のときを迎えたという
このときの様子を表わしたものが涅槃像あるいは涅槃図で、2月15日のことと伝えられている
日本では2月15日になると、全国各地の寺院で涅槃図を掲げた「涅槃会(ねはんかい)」が行われ、お釈迦さまの命日の供養をしている
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