迫力あり!新薬師寺(しんやくしじ)の像群 奈良
「おおっ!」
エキゾチックな顔をして、どっかりと坐った薬師如来(やくしにょらい)
その本尊の薬師如来を円形に取り囲んで武装してる12躯(く)の等身大の十二神将(じゅうにしんしょう)
曲線が美しい天平(てんぴょう)建築の本堂
国宝
奈良時代
南門をくぐると、正面になだらかな曲線の屋根と白壁が美しい本堂
もとは祈祷(きとう)を行うお堂だったようです
お堂の中は、ひろびろ!
見上げると、奈良時代の建物の骨組みを見ることができる
中心には直径約9mの土の壇が築かれ、檀上には本尊の薬師如来坐像と十二神将像が安置されています
新薬師寺は、天平(てんぴょう)19年(747)3月、聖武天皇(しょうむてんのう)(在位724-749)の病苦平癒を祈願した、お后の光明皇后(こうみょう こうごう)によって創建されました
第45代の聖武天皇は皇后と共に仏教を深く信仰し、東大寺を建立して廬舎那仏(るしゃなぶつ)をつくることを発願
その途中で天皇は体調を、くずされたのです
そこで、天皇の病気を治すため、清らかな場所で心の汚れを取り除いてもらうことで、幸福が訪れるという薬師悔過(やくしけか)が行われました
僧侶たちがお籠(こも)りして行われたと考えられています
今も新薬師寺では、毎年1月8日と4月8日に薬師悔過(やくしけか)が行われています
平城京の東に位置する春日山(かすがやま)、高円山(たかまどやま)の麓にあったお堂(香山堂(こうぜんどう))新薬師寺の前身ともいわれる
薬師如来の功徳(くどく)によって、天皇の病も治りました
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(752)、無事に大仏開眼供養会が営まれました
これをきっかけに、皇后によって新薬師寺(当時は香山薬師寺)がつくられました
創建当時の新薬師寺は壮大な寺院で、1000人もの僧侶が住み、7つの伽藍(がらん)と東西2基の塔が建ち並んでいたといいます
新薬師寺は、平安時代の応和(おうわ)2年(962)の落雷や台風によって主なお堂を失い、唯一残ったのが現在の本堂です
薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)
国宝
像高191㎝
奈良時代後期から平安時代初期
左手には大きな薬壺(やっこ)を持ち
右手は「だいじょうぶ 安心してください」と施無畏印(せむいいん)
頭と胴体などの体幹部分は、1本の榧(カヤ)の木で彫られ
手と足は同じカヤから寄木(よせぎ)でつくられている
光背(こうはい)には、6体の小さな化仏(けぶつ)(人々を救うために、別の姿で現わされた仏)がついている
本尊と合わせて「七仏薬師(しちぶつやくし)」を表現しています
七仏の薬師如来を安置することで、病気平癒や安産をもたらします
十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
国宝
奈良時代
塑像(そぞう)
像高152.0~166.0㎝
つくり方は、土を盛り上げて形づくる彫刻、塑像(そぞう)です
塑像ならではの繊細でリアルです
紺や緑、褐色の眼球には、吹きガラスの玉を用いているので、生き生きと輝いて見えます
像の表面は、もとは青や朱、緑、紫などのカラフルに彩色されていました
十二神将をCGで再現した映像が見ることができます
配置図
ショウトラ クビラ
シンダラ マコラ
サンテラ 本尊 ビギャラ
メイキラ 薬師如来 ハイラ
アンテラ アニラ
インダラ バザラ
平安時代初期、空海(くうかい)や最澄(さいちょう)によって密教が伝えられ、仏教の呼び名も変化していきました
奈良の新薬師寺の十二神将像は、奈良時代最古の作品
各像の呼称も古くからの名前を受け継いでいます
もとは高円山の麓にあった岩淵寺(いわぶちでら)から移したものとも伝えられている
住所 奈良県奈良市高畑町1352
拝観時間 は9時~17時
アクセス JR奈良駅、近鉄奈良駅より、市内循環バスに乗り、「破石町(わりいしちょう)」下車、徒歩約10分
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