お地蔵さまって?
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
お地蔵さまは、地獄に落ちた人びとを救う仏さま
梵字:カ
真言:おん かかか びさんまえい そわか
釈迦如来が死去してから、弥勒如来(みろくにょらい)が現れる56億7000万年後まで
六道(地獄(じごく)道・餓鬼(がき)道・畜生(ちくしょう)道・修羅(しゅら)道・人道・天道)の六世界を歩きまわり、苦しむ人びとを救うのが地蔵菩薩です
菩薩で唯一、僧形で表現される
多くは左手に宝珠(ほうじゅ)をもち、右手は与願印(よがんいん)を結ぶか、錫杖(しゃくじょう)をもっている
お地蔵さまの、インド名は「クシティガルバ」
無限の力を持つ、大地の母胎という意味で『大地の母(蔵)』
お地蔵さまは、地獄を支配する十人の王を、支配し、
閻魔大王が変身したとされる
日本では平安時代から信仰をされた
親より先に亡くなった子は賽(さい)の河原(かわら)に落ち、鬼にいじめられる
地蔵菩薩は、そうした子どもたちを救い続ける
また、地蔵菩薩は、道や辻(交差点)に置かれて
災いが入ってくるのを防ぐ道祖神(どうそしん)とされた
地蔵菩薩のご利益は
「無病息災」
「五穀豊穣」
「交通安全」
「敬愛和合」
「立身出世」
「水子祈願」
「安産」
「子授け」
「子供守護」
「地中に埋蔵されたものを発見する」
などなど
一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって
地獄の苦しみから救ってくれるとか・・・
❶錫杖(しゃくじょう)
「遊行(ゆぎょう)」する僧の持ちものです
❷剃髪(ていはつ)
髪をそった坊主頭
❸白毫(びゃくごう)
❹宝珠(ほうじゅ)
願いを叶え、災害を取り除く珠
❺法衣(ほうえ)
地蔵菩薩は出家した姿で表される
仏像の中で法衣をまとうのは地蔵菩薩だけです
▲与願印(よがんいん)
手のひらを前に向けて差し出す印相で、人びとの願いを叶える
錫杖を持たない地蔵菩薩のサイン
〇立っている地蔵菩薩
地獄から救い出してくれる、お地蔵さま
一番身近な仏像です
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
永昌寺(滋賀県)
重要文化財
平安時代
像高 154.9㎝
ヒノキの一木造
右手は与願印を結び、左手は宝珠をもつ
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
勝常寺(福島県)
重要文化財
平安時代初期
像高 168㎝
旱魃(かんばつ)のちきに水をかけて雨を祈願したことから、「雨ふり地蔵」と呼ばれている
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
満願寺(まんがんじ)(神奈川県)
地蔵菩薩
重要文化財
鎌倉時代
像高 203.7㎝
観音菩薩立像とともに、源平合戦で活躍した佐原義連(さわらよしつら)が、運慶工房に造らせたとされるが不明
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつ りゅうぞう)
双林寺(そうりんじ)(宮城県)
重要文化財
平安時代
双林寺では延命地蔵尊と名付けられ、手で抱いて祭礼に練り歩いていたといわれる
両手が失われていて、鼻なども欠けているが、衣文が美しい線を描いて彫り出されている
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
藤田美術館(大阪府)
重要文化財
鎌倉時代
木造
玉眼
像高 58.9㎝
彩色と截金(きりかね)で鮮やかな像
右足枘(あいほぞ)に「巧匠/法眼(ほうげん)快慶」の銘がある
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
安産寺(あんざんじ)(奈良)
重要文化財
平安時代 9世紀
カヤの一木造(いちぼくづくり)
像高 177.5㎝
室生寺(むろうじ)に光背を残して、三本松に舟に乗ってきた
美しい衣文(えもん)が太ももの間に流れ込む造像です
・六万体地蔵菩薩立像(ろくまんたい じぞうぼさつ りゅうぞう)
寂光院(じゃっこうじ)(京都府)
2000年に起きた不慮の火災により、鎌倉時代に造立された地蔵菩薩立像は焼けてしまった
2005年に旧本尊と形・大きさともに同様の姿として極彩色に造像された
・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
法隆寺(ほうりゅうじ)(奈良)
像高 173㎝
カヤの一木造、内刳り(うちぐり-内部を彫る)はない
右手は与願印(よがんいん)を結ぶ
聖林寺(しょうりんじ)の国宝・十一面観音立像と明治時代まで、大神神社(おおみわじんじゃ)の脇侍(きょうじ)としてまつられていた
〇坐っている地蔵菩薩
坐って片足を下げる半跏(はんか)の地蔵も多く造られ、延命地蔵と呼ばれるものが多い
・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
如意寺(にょいじ)(京都府)地蔵菩薩坐像
重要文化財
鎌倉時代
焼けて傷はあるが、衣には当初の載金(きりかね)文様が残っている
快慶が無位時代に造った作品です
・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
安祥寺(あんしょうじ)(京都)
像高 135.0㎝
開基の恵運が唐より持ち帰ったとするが、近年の調査で鎌倉時代後半の作であることがほぼ明らかとなった
・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
福智院(ふくちいん)(奈良)
需要文化財
鎌倉時代 建仁3年(1203)
檜(ひのき)の寄木造(よせぎづくり)
像高 273.0㎝ 総高611.0㎝
大きい地蔵菩薩は、「地蔵大仏」と呼ばれる
舟形の千仏光背(せんぶつこうはい)に、小さな地蔵菩薩がびっしり
そのなかには、閻魔王(えんまおう)と太山王(たいざんおう)らしき王もある
・地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)
常喜院(じょうきいん)(和歌山県)
重要文化財
鎌倉時代末期
像高 37.1㎝
院修(いんしゅう)や院湛(いんたん)など院派の仏師が制作
・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
瑞林寺(ずいりんじ)静岡
重要文化財
平安時代(1177年)
像高 84.0㎝
運慶の父、康慶(こうけい)の貴重な仏像
東国武士達は、慶派の力強い表現を好んだ
・地蔵菩薩半跏像(じぞうぼさつはんかぞう)
禅定寺(ぜんじょうじ)(京都)
重要文化財
ヒノキの一本造り
頭が大きいのは、平安時代前期の地蔵菩薩像によく見られる
・お地蔵さまは、六道を巡ることから、地蔵菩薩像を六体並べてまつる「六地蔵」が生まれた
・閻魔王(えんまおう)ら十王(じゅうおう)を従えた地蔵菩薩坐像
・矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を左右に従えた三尊形式の地蔵菩薩坐像
・六地蔵塔
人は死後に六道の何れかに行くとされる
六つの辻に
壇陀(金剛願)
宝珠(金剛宝)
宝印(金剛悲)
持地(金剛幢)
除蓋障(予天賀)
日光(放光王)
の六つの地蔵が立ち、死者を救うとして「六地蔵信仰」が戦国時代頃に、六地蔵塔が建てられた
「笠」と呼ばれる部分の下に「龕部(がんぶ)」という
六面の部分、その一面一面に
お地蔵さまが一尊ずつ彫られているのが六地蔵塔です
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません