お地蔵さまって?

2022年5月12日

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

お地蔵さまは、地獄に落ちた人びとを救う仏さま

梵字:カ

真言:おん かかか びさんまえい そわか

釈迦如来が死去してから、弥勒如来(みろくにょらい)が現れる56億7000万年後まで

六道(地獄(じごく)道・餓鬼(がき)道・畜生(ちくしょう)道・修羅(しゅら)道・人道・天道)の六世界を歩きまわり、苦しむ人びとを救うのが地蔵菩薩です

菩薩で唯一、僧形で表現される

多くは左手に宝珠(ほうじゅ)をもち、右手は与願印(よがんいん)を結ぶか、錫杖(しゃくじょう)をもっている

お地蔵さまの、インド名は「クシティガルバ」

無限の力を持つ、大地の母胎という意味で『大地の母(蔵)』

お地蔵さまは、地獄を支配する十人の王を、支配し、

閻魔大王が変身したとされる

日本では平安時代から信仰をされた

親より先に亡くなった子は賽(さい)の河原(かわら)に落ち、鬼にいじめられる

地蔵菩薩は、そうした子どもたちを救い続ける

また、地蔵菩薩は、道や辻(交差点)に置かれて

災いが入ってくるのを防ぐ道祖神(どうそしん)とされた

地蔵菩薩のご利益は

「無病息災」
「五穀豊穣」
「交通安全」
「敬愛和合」
「立身出世」
「水子祈願」
「安産」
「子授け」
「子供守護」
「地中に埋蔵されたものを発見する」
などなど

一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって

地獄の苦しみから救ってくれるとか・・・

錫杖(しゃくじょう)
「遊行(ゆぎょう)」する僧の持ちものです

剃髪(ていはつ)
髪をそった坊主頭

白毫(びゃくごう)

宝珠(ほうじゅ)
願いを叶え、災害を取り除く珠

法衣(ほうえ)
地蔵菩薩は出家した姿で表される
仏像の中で法衣をまとうのは地蔵菩薩だけです

与願印(よがんいん)
手のひらを前に向けて差し出す印相で、人びとの願いを叶える
錫杖を持たない地蔵菩薩のサイン

立っている地蔵菩薩

地獄から救い出してくれる、お地蔵さま
一番身近な仏像です

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

永昌寺(滋賀県)

重要文化財
平安時代
像高 154.9㎝

ヒノキの一木造
右手は与願印を結び、左手は宝珠をもつ

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

勝常寺(福島県)

重要文化財
平安時代初期
像高 168㎝

旱魃(かんばつ)のちきに水をかけて雨を祈願したことから、「雨ふり地蔵」と呼ばれている

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

満願寺(まんがんじ)(神奈川県)

地蔵菩薩

重要文化財
鎌倉時代
像高 203.7㎝

観音菩薩立像とともに、源平合戦で活躍した佐原義連(さわらよしつら)が、運慶工房に造らせたとされるが不明

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつ りゅうぞう)

双林寺(そうりんじ)(宮城県)

重要文化財
平安時代

双林寺では延命地蔵尊と名付けられ、手で抱いて祭礼に練り歩いていたといわれる

両手が失われていて、鼻なども欠けているが、衣文が美しい線を描いて彫り出されている

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

藤田美術館(大阪府)

重要文化財
鎌倉時代
木造
玉眼
像高 58.9㎝

彩色と截金(きりかね)で鮮やかな像

右足枘(あいほぞ)に「巧匠/法眼(ほうげん)快慶」の銘がある

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

安産寺(あんざんじ)(奈良)

重要文化財
平安時代 9世紀
カヤの一木造(いちぼくづくり)
像高 177.5㎝

室生寺(むろうじ)に光背を残して、三本松に舟に乗ってきた

美しい衣文(えもん)が太ももの間に流れ込む造像です

六万体地蔵菩薩立像(ろくまんたい じぞうぼさつ りゅうぞう)

寂光院(じゃっこうじ)(京都府)

2000年に起きた不慮の火災により、鎌倉時代に造立された地蔵菩薩立像は焼けてしまった

2005年に旧本尊と形・大きさともに同様の姿として極彩色に造像された

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

法隆寺(ほうりゅうじ)(奈良)

像高 173㎝

カヤの一木造、内刳り(うちぐり-内部を彫る)はない
右手は与願印(よがんいん)を結ぶ

聖林寺(しょうりんじ)の国宝・十一面観音立像と明治時代まで、大神神社(おおみわじんじゃ)の脇侍(きょうじ)としてまつられていた

坐っている地蔵菩薩

坐って片足を下げる半跏(はんか)の地蔵も多く造られ、延命地蔵と呼ばれるものが多い

地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)

如意寺(にょいじ)(京都府)地蔵菩薩坐像

重要文化財
鎌倉時代

焼けて傷はあるが、衣には当初の載金(きりかね)文様が残っている

快慶が無位時代に造った作品です

地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)

安祥寺(あんしょうじ)(京都)

像高 135.0㎝

開基の恵運が唐より持ち帰ったとするが、近年の調査で鎌倉時代後半の作であることがほぼ明らかとなった

地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)

福智院(ふくちいん)(奈良)

需要文化財
鎌倉時代 建仁3年(1203)
檜(ひのき)の寄木造(よせぎづくり)
像高 273.0㎝ 総高611.0㎝

大きい地蔵菩薩は、「地蔵大仏」と呼ばれる

舟形の千仏光背(せんぶつこうはい)に、小さな地蔵菩薩がびっしり
そのなかには、閻魔王(えんまおう)と太山王(たいざんおう)らしき王もある

地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)

常喜院(じょうきいん)(和歌山県)

重要文化財
鎌倉時代末期
像高 37.1㎝

院修(いんしゅう)や院湛(いんたん)など院派の仏師が制作

地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)

瑞林寺(ずいりんじ)静岡

重要文化財
平安時代(1177年)
像高 84.0㎝

運慶の父、康慶(こうけい)の貴重な仏像

東国武士達は、慶派の力強い表現を好んだ

地蔵菩薩半跏像(じぞうぼさつはんかぞう)

禅定寺(ぜんじょうじ)(京都)

重要文化財
ヒノキの一本造り

頭が大きいのは、平安時代前期の地蔵菩薩像によく見られる

お地蔵さまは、六道を巡ることから、地蔵菩薩像を六体並べてまつる「六地蔵」が生まれた

閻魔王(えんまおう)ら十王(じゅうおう)を従えた地蔵菩薩坐像

矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を左右に従えた三尊形式の地蔵菩薩坐像

六地蔵塔

人は死後に六道の何れかに行くとされる

六つの辻に
壇陀(金剛願)
宝珠(金剛宝)
宝印(金剛悲)
持地(金剛幢)
除蓋障(予天賀)
日光(放光王)
の六つの地蔵が立ち、死者を救うとして「六地蔵信仰」が戦国時代頃に、六地蔵塔が建てられた

「笠」と呼ばれる部分の下に「龕部(がんぶ)」という
六面の部分、その一面一面に
お地蔵さまが一尊ずつ彫られているのが六地蔵塔です